2022年4月8日 春の大祭 宮司講話

2022年4月8日 春の大祭 宮司講話

「玉水」解説① 導入

 春の大祭へのご参拝、まことにご苦労様でした。
 春の大祭は基本的に感謝のおめでたいお祭りなので、ウクライナ危機という悲惨な出来事について祝詞に入れてお願いするかどうか、かなり逡巡したんですけれども、今朝思い立って、「辞別(ことわ)きて白(まを)さく」という形で書き加えて、大神様に申し上げました。その中で、特に祝詞として、異例というか異様な部分は、「露西亜(ロシア)の政(まつりごと)を糺(ただ)し給ひて正し給ひ」というところなんです。ロシアの政治の罪を問い糺して、そして、正しくさせてください、という意味です。おめでたい春の大祭の祝詞が少し異様なものになってしまったので、僕は緊張のあまり言い間違えて、いわゆる噛んでしまいました。そのお祈りがどのように通ったかは大神様にお任せして、僕はただただ恐縮しておりました。

 これから、予定していたお話をいたします。
「戦争を知らない子供たち」という歌がありますね。これは僕も最近知ったことなんですけれども、この有名な曲は一九七〇年の大阪万博で披露された曲なんですね。僕は若い頃は、この歌が大嫌いでした。子どもの頃は、「何甘いこと言ってんだ。ソ連が攻めてきたら戦うぞ」と思っていました。少し年がいって成人し、少しばかり知恵がついてくると、「何甘いこと言ってるんだ。世界の安全保障の現実はもっと厳しんだぞ」と思っていたわけですね。しかし、どういうわけか最近、本当に最近ですね、この曲のオリジナル版を聴いてみますと、なんだか素直にいい曲だなと思ってしまいましてね。そして、この心境の変化は何だろうと思ったんです。昨今のウクライナ危機なんかを見ましても、大人の過ちを子どもや若者の命で償うわけにはいかないですよね。大人の野心のために、若者や子どもの命が犠牲になって良いわけがない、そのように思うようになったわけです。
 ただ、人類の歴史を紐解いてみますと、戦争は普通のことであるし、当たり前のことなんです。そして人間は、この「普通のこと」というものをたいがい乗り越えられない。逆に言えば、乗り越えないから普通のことなんですね。そして、この普通のことを乗り越えるために、要するに戦争をしなくてもいいような人間に、人類になるために、宗教はその役割を果たそうとしてきました。例えば、悟ることによって乗り越えようという方向性もありました。また、絶対者である神に帰依し、祈ることによって乗り越えようとする歩みもあったわけです。しかし、人類の歴史を振り返れば、それらはあまりうまくいかなかったようです。そして、戦後の七十年間はあまり大きな戦争はなかったんですけれども、やはり戦争をしようと思う人がいれば戦争は起こるということが、今回分かったわけです。
 悟ることによって、あるいは祈ることによって、人類の、戦争をするあり方を乗り越えようというのでは限界がある、それとは違う方法を示そう、という霊的な運動が二十世紀に起こりました。それは、ブラヴァツキー夫人というロシア人の女性が始めた神智学という霊性運動に端を発した、霊的進化論です。この霊的進化論は、アメリカやヨーロッパではいわゆるニューエイジという運動になりまして、そのニューエイジ運動が反戦運動に結びついたのです。そして、ある人たちは、人間は霊的進化することによって、戦争をするという愚かな人類のあり方から卒業するんだ、と真剣に信じたわけですね。
 しかし、霊的進化論の根っこには、自分たちが霊的進化して、自分たち以外の人間よりも優れたものになるんだという、いわば霊的エリート主義があるように思います。ですから、いわゆる霊的進化論を信じて、スピリチュアルであるように振るまっている人の中には、実は霊的エリート主義に毒されていて、本当はスピリチュアルでもなんでもなく、極めて世俗的な人が多いような気がします。僕はそういう人たちと関わる中で、率直にそう思うようになりました。それですから、玉光神社では霊的進化という 言葉を使うのをやめることにしたわけですね。
 もっとも、霊的進化という言葉をさかんに使われたのは、初代宮司様でした。初代宮司様がヨーガ行を最初に習ったのは、神智学を日本に紹介した三浦関三さんという方からでした。神智学を通してヨーガを初代宮司様は知っていかれたといういきさつもあって、初代宮司様が唱えられた霊的進化論には、ブラヴァツキー夫人を源流とする霊的エリート主義的な部分がなかったとは言えないのです。
 しかし、そういう霊的エリート主義とまったく異なるものが、初代宮司様が説かれたことの本質であるんです。それは幾度となく言ってきたことですが、「個から場所へ」ということです。霊的進化というのは、この僕が僕として進化して偉くなるという、個人が、個が偉くなる、そういう方向性です。しかし、初代宮司様が説かれたのは個から場所へという飛躍であるのです。
 それでは、個から場所へという飛躍が、大神様のもとで初代宮司様によって初めて説かれたのか、と言うとそうではないというのが、今日から何回かに分けてするお話です。実は、お代様の頃から、個から場所へということは大神様によって説かれています。それは『玉光神社教祖自叙傳じじょでん』、お代様の自叙伝の巻末にある「玉水たまみず」という文章に端的に表れています。この文章の中で、個から場所へという飛躍が、そして神のあり方とは場所であるということが、お代様への御神言を通して説かれています。とは言え、それは決して明示的にではありません。いずれにせよ、その土台の上に初代宮司様は場所的個という教えを説かれたのです。

 今日はこの後に御祝宴もありますし、その内容に踏み込んでは話しません。これから三回か四回に分けてお話しします。それでも、一つだけ重要なポイントを述べますと、「玉水」という文書の中でも非常に重要なことは、大神様の御働きが地下水に喩えられ、そして一人ひとりの人間や教団のような目に見えるものが川、水道といったもの、特に川に喩えられていることです。そして、大神様の御働きである地下水も、個々の人間や教団である川も、ともに水でできている、ということが決定的に重要です。その水は、本来は形がなく色がありません。そして、それは常に流れていなければいけない、と説かれています。せき止められて、澱んではいけないのです。これらが「玉水」で最も重要な論理構造なのです。それがどのような意味を持つのか、それがどうして初代宮司様が説かれた「場所」というものにつながるのかは、次回以降にお話しいたします。そして、「玉水」の最後の方に書いてある「信仰とは己を知って時を待つこと」であるということが、どういうことであるのかもお話ししようと思っています。
「玉水」は全編が御神言です。もちろんお代様がいただいて、それをお代様が何年か経ってから記憶に基づいて書かれているので、お代様がいただいた御神言そのものの正確な再現であるかどうかは、少し分からない部分もあります。しかし、基本的に全編御神言ですので、それを僕なんかが解説するというのは、大それたことであり、恐れ多いことです。とは言え、宮司というお役をいただいた以上、自分の知力と自分なりの経験を通して感得したもののすべてを傾けて、私なりに一生懸命、皆さんに分かるように話をしようと思っております。次回以降は、人類がどうしても乗り越えることができなかった戦争の道を乗り越えるために、玉光大神様がお代様と初代宮司様を通して説かれたと私が理解していることを、「玉水」を解説しながらお話ししていこうと思っています。
 今日は、おめでたい春の大祭の御祝詞の中に忌まわしい戦争のことなど書いて、大神様に申し訳ないという思いと、春の大祭を楽しみにしていらっしゃる皆様にもなんとなく後ろめたい気持ちもあったんですけれども、私なりに一生懸命皆さんとともに平和を大神様にお願いし、またそれだけでなく、日頃のお導きの感謝を大神様に皆さんとともにお祈りいたしました。
 皆さん、一生懸命をお祈りしていただいて、本当にありがとうございました。

(了)