『十五条の御神訓』は十五条どれも一条一条大切で、どれが一番大切ということはないのです。 それでも世間の方たちから、「お宅の教えは何が大事な教えですか?」と言われたときに、『御神訓』の十五という数は結構多いですから、『十五の御神訓』のうちのどの条を先ずお伝えしたらいいのかなあ、と考えてみました。
『十五条の御神訓』は、最初の条から展開して、最後の一つに集束されていくという構成になっています。最初の三条は、皆さんご存知のとおり、
「神は宇宙 霊界を創り 生かし賜う」
「神は 愛と智慧をもってすべてを生かし 進化させ賜う」
「神の愛を感得し 真似すべし」
であり、最後の一条というのは、
「神を愛するものは 一切を成り立たせる」
ですね。
今日は、この初めの三条と最後の一条の御神訓が密接に関連して大神様の教えの真髄をお示しいただいているという話を、これからしたいと思います。
ここに示されているのは、ひとえに玉光神社の教えの真髄というだけではなくて、実は立派な宗教のほぼ全てに共通する宗教的真髄であって、「私たちはこういう信仰をしています」と言ったときに、地球の裏側に行っても、未来に行っても、あるいはタイムマシンに乗って過去に遡っても、どこにでも通用する普遍的な教えなのです。
第一条は「神は宇宙 霊界を創り 生かし賜う」です。 ここで教えていただいていることは神様の創造力のことです。 この世を創られたという、その創造力は、創りっ放しの創造力ではなくて、創られた全てと常に関わって生かして下さっている、私たちをいつも生かして下さっている、そういう創造力である、というのが、第一条で教えていただいている内容です。 ですから、神様のお働きの根源は創造力と言っていいわけですね。
第二条は、それでは、私たちをどのように神様は生かして下さっているのかという内容です。 私たちを生かしてくださるときには、「神は 愛と智慧をもってすべてを生かし 進化させ賜う」。 つまり、私たちを生かしてくださるとき、私たちと関われるとき、神様は、根底に創造力があるけれども、愛をもって、そして智慧をもって、という、この二つのあり方で私たちと関わって下さっている。 そして、「神は 愛と智慧をもってすべてを生かし 進化させ賜う」、つまり「すべてを」です。 「漏れなく」ということです。 差別なくすべてを、創造力をもって生かして下さっているのです。 そして、それだけではなくて、「進化させ賜う」、つまり私たちはただ神様に生かされて今のままである、というだけではなくて、今の状態を神様によって壊されて引き上げられ、進化させられる、これが神様と私たちとの関わりなのです。
私たちはありのままに生きていて、そのありのままの私たちを神様は愛し支えて下さっているのですけれども、しかし同時に、そういう私たちを進化させようとなさっている。 ですから、神様の御経綸に沿うということは、ただ「生かされている」だけではなくて、――この、ただ生かされているということに気が付くというのもほんとうは難しいんですね、私たちには。 なぜなら、みんな自分で生きていると思っていますから―――進化させられること、つまり進化するのではなくて、実は、「進化させられる」ことが、神様の御経綸に沿う生き方なのですね。
初めの二条は神様のお働きについて教えてくださっている。 神様はすべてを創造された、そして創りっ放しではなくて、常に私たちと関わり、生かして下さっている。 それが神様の創造力である。 これが第一条。 第二条は、神様は私たちにどのように関わって下さっているかという内容になっている。 それは、私たちを進化させるため、霊的進化させるためである。 ただの生物的な進化ではなく、霊的に進化させるために私たちを生かして支えて、ある意味で、壊して引き上げてくださるわけです。 そのときの、神様のお働きは「愛と智慧」とによる、ということですね。
以上の二条では、神様のお働きとして、創造力と愛と智慧という三つが出てくるわけです。 これは大体どの宗教にも出てきます。
第三条の内容は、「神の創造力を感得し、真似すべし」ではありませんね。 「神の智慧を感得し、真似すべし」でもない。 「神の愛を感得し、真似すべし」となっています。 ですから、「神は創造力であり、愛であり、智慧である」と初めの二つの条での教えに続いて、「そのうちのどれをあなた方は実践しなさい」かとなると、「愛だ」という教えなのです。
これは非常に大事なのです。 御神訓は神様のお言葉なのですから。『十五条の御神訓』は『玉光教十訓』とは全くその成立の経緯が違うのです。 『玉光教十訓』というのは、お代様を中心に纏められ、言わば、「神様、これでいいでしょうか?」と伺って神様にそれで良しとしていただいた教えですが、『十五条の御神訓』はある朝急に神様が宮司様に下されたのであり、宮司様に下がられた「神の言葉」そのものでありますからね。 その『十五条』の最初の三条で、神様は「神は愛であり、智慧であり、創造力」であり、私たちは「神の愛を感得し、真似」しなければならないと直接教えていらっしゃるわけです。
神様にとって創造力と愛と智慧というのは実は全く同じというか、同じものが、私たちにとっては違って見えるということなのですね。 要するにまん丸なものを見たときに、見る方向によって、ちょっと違った側が見えるというようなものですね。 神様にとっては、創造力と愛と智慧は同じことなのです。 同じことの違う側面なのです。
ところが私たちには、神様は、この三つの神様のお働きのうち、それぞれ好きなものの真似をしなさいとは仰せにならなくて、「愛を感得し 真似すべし」とおっしゃっている。 上の三つは神様にとっては同じものであっても、私たちにとってはやはり別のものなのです。 宗教体験という立場で言えば、高い次元では一つであるものも、次元が下がれば別のものになるのです。 ですから、愛と智慧と創造力は、やはり私たちにとっては別のものなのです、神様にとっては一つでも。 ですからこの三つのうちのどの一つを実践の要にせよと神様はおっしゃっているかというと――神様は「愛を実践の要にしなさい」とおっしゃっている。 それが第三条なのです。 しかも、その愛は人間の愛ではない。 「神の愛を感得し 真似すべし」とおっしゃっているのですね。 これが第三条なのです。
以下略
