お祈りや行は無私の愛の信仰で

平成22 年11月1日 宮司様 朝の講話より

宮司様 今日は日曜日だし、質問したい人は話してみて下さい。
A 二年程前になりますけれども、朝行の後で宮司様が、今日はプルシャの次元のエネルギーをみんなに送ったけれども、感じたかっておっしゃった事がありました。
宮司様 うん。
A その時は実は全く何も感じなかったのですけれども、家に帰って、ふと気が付いてみますと、自分の意識がいつもとちょっと違うなと気付いたのです。
宮司様 うん。
A つまりその、「自分が、自分が」っていう状態ではなくて、人にふっとやさしくなっているような、そして、不安とか心配とか、そういう事もふっと断ち切れてしまって、なんか晴れ晴れ自由っていう、そういうような意識で自分がいる事に気付きまして、えっ、こんな意識が自分でも持てるんだなって驚いたわけです。
宮司様 うん。
A ところがそれは一時的な出来事でして、気が付いてみると、自分はまたもとのまんま、っていう事だったんですけれども。
 今、行を積み重ねる中で、いつかチャクラの覚醒、そしていつかは、そういう晴れ晴れ自由というような意識の状態に近付けるんだろうと思って、行を毎日してるわけですけれども。
宮司様 うん。
A お教え戴きたいのは、意識をチャクラに集中していくという事と、チャクラが覚醒していくという事の間なんですけれども。
宮司様 うん。
A 意識をチャクラに集中していくという行為の後、どういう事が起こってチャクラの覚醒という事に至るんだろうか、そこら辺をお教え戴ければと思うのですが。
宮司様 うん、そういうことについては、『スピリチュアリティの真実』(PHP出版)の中にも書いてあるし、『チャクラの覚醒と解脱』(宗教心理出版)の中にも確か書いてありますが、簡単に分かりやすく話をしてみましょう。
 A君がさっき最初に話した、プルシャの力というのは、送って貰っても、その時には皆にはすぐにはわからないのですね。 ただ、後になってみて、その力が、今の自分の魂の中で働いていることに気付く場合もある。
 普通の人の場合、その人の魂は、普通はアストラルの次元が主で動いてる。 或いは、カラーナの次元でだって動いてはいる。 しかし自分の魂の状態、働きについては、意識にはなかなか上ってこないのです。
 しかしプルシャの力をその人の魂に送って影響を与えると、後になってね、まあ半日か一日か経った後になって、だんだん自分が、自分から離れているというか、人への愛や思いやりがなんとなく出てきたように感じるのです。 送られた力が、そういう形でその人の魂の中で働いているのですね。
 しかしもともと自分の魂はその次元までいってないから、またもとに戻っちゃうわけですよ。
 しかし、君は長い事、行をしたから、プルシャの次元の力を送られると、それが、普通の人間の意識の中で或る程度感じられるところまで達したわけです。 普通の人の場合は、それが出てこない場合の方が多い。 ただ、まあ体が元気になったとか、気分が良くなったというだけの事、或いは病気が治ったとか、それで終わりだけど、送られた力の働きによる自分の魂の働きの変化がある程度自覚が出来たという事は、プルシャの次元の意識も、自分の中で受け入れられるような状態になってきているということですね。 それがずっと続くといいんだけどね、続かないんですね。
そういうのが続くようになるにはどうしたらいいか。
えーとね、そうそう、海軍の時の話をしましょう。 まあ、みんなは戦争の事をほとんど知らない年代で、八十歳以上の人でないと、戦争中のことは知らないわけですね。
戦争中、日本の国のほとんど主な都市は、アメリカのB二九という爆撃機により焦土と化した。 その頃僕は予備学生の試験を受けて海軍に入ったんだけど、それより以前、昭和七年だったか、『今から五年経つと世が逆さまになるような戦争が起きて、日本もくるめて世界中の人が苦しむから、そういう人達を救うために天下った』という御神言が、お代様にあったわけです。
 こういう、世の中が大きな変化をして世界中に困難が起きる時には、いつも僕の体の上にいろんな変化が起きる。 それで終戦の昭和二十年の一年前、昭和十九年には耳の手術を三回もしたのです。 一回がだいたい三時間から四時間位かかる手術なのに、麻酔薬が戦争中で十分になくてね、四十分位しか薬が効かないんですよ。 麻酔がきれてくると、目の前がまっくろになって目がまわって宙に浮いたようになる。 随分えらい目にあった。 それは神様のご心痛が僕の体にうつるんだと思うのだけど。
 しかしこんな大手術の後の身体だったが、なんとかして国を守りたいと思った。 空襲はもうそれこそ大変だったのですよ、焼夷弾が落ちて、横浜や横須賀は、何千もの爆弾によって、ほとんど一日か一晩で半分以上焼けたわけです。 たくさんの、何百万人かの人が、日本の主な都市で、そういう空襲で亡くなったり被害を受けたから、なんとかして日本を守って、アメリカの奴をやっつけなきゃと思った。
(註:一九四五(昭和二十)年五月二十九日午前九時二十二分(白昼)、米軍は横浜大空襲を敢行した。 横浜は、わずか一時間八分で同市内の鶴見、神奈川、西、中、南、保土ケ谷区が壊滅、市域の三十四%が焼け野原と化し、同市人口の三分の一の三十一万人が被災、推定八千~一万人が死亡した。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yokohamadaikuusyuu.htmより)
そういう気持ちがみんなに本当にわかるかどうか。 自分というのはなくて、もうほんとに国を守ろうという、それだけで、そのためにどうせ死ぬんだから、特攻隊になろうと思って予備学生の試験を受けた。
 受けたときには、三回も手術をした後で、まだ傷がやっとふさがったばかりで、耳から血が出たり汁が出たりしていた。 痛くて、肺炎にはなるし、大腸炎にはなるし、ひどい状態で休学していた直後だったから、試験に受かって横須賀の兵学校の分校に入っても、すぐに、体がこんな調子じゃだめだって戻されるに違いない、と医者は言っていたのです。 しかし特攻隊では人数が足りないからっていうので、そのまんま帰されないで残ったわけです。
特攻訓練というのは毎日、ほんとにまあみんなは考えられないほど大変だね、いちいち話してたらきりがないけどね。 カッターの練習は、七十人位乗れるカッターなんですよ。 ボートじゃないんだよ。 それでね、オールは樫の棒で、太くて長さが二メートル半位の、重さが五十か六十キロぐらいのオールの先端を持って持ち上げるのに、すごい力がいるんですよ。 それが初め皆なかなかできないが、できないと、樫の棒でグイーンとたたかれる(笑)。 そうして、やっとできるようになってオールを漕ぐ。 二メートル位の波があっても三メートル位の波があっても漕いで行くわけで、そういう練習を初めの一ヶ月位、毎日毎日二~四時間位するんですよ、午後ね。 午前中は、数学とか物理学とか砲術とか天文とか天測とか、いろんなことを四時間ぶっ続けて習うわけです。 寝る時間は六時間位あったと思うんだけど。
 最後の頃には、もう爆弾がしょっちゅう落ちてくるから、――アメリカの戦闘機が飛んできて、日本の機関銃よりは大きい弾でねらい撃ちされる。 土煙を上げて弾が追っかけてくるわけですよね。 どっちかによけないといけないんだけど、よけそこねたら死ぬわけだよなあ。 そういう状態になって、昼間でも、空襲警報が鳴ったら、山をくり抜いてつくった壕に入らないといけなくなってきた。 三浦半島の山は水成岩で、なかなか硬いんです。 それを、鉄道レールを半分に切って、先をとんがらかした鉄棒を、やぐらを作ってロープで吊り下げて、十人位でボンと山の岩をたたいてトンネルを、四キロ位掘ったかな。 毎夜十時から十二時頃まで毎日交代でトンネル堀りをする。 昼間は訓練をして、夜は十二時頃までトンネル掘って、それだけでもほんとにへとへとになるわね。
 そういう中では、命を国のために捧げて訓練を受けていて、自分というのはないわけです。 だから自己否定というのがおきてるわけです。
 軍隊では自分が自由になんかするとか、考えてなんとかするという事は、全然通らないのです。 そういう世界にみんなも一度は入ってみるといいと思うんですよ。 勝手な事を言ったら、もうすぐその場で、それこそ、三十発位ゲンコツで頬をたたかれる。 一回ごとに唇が切れて顔も腫れる。 そういうのを三十分位やられてごらん、自分の意思なんて、意見なんて通らないのですよ、全然ね。 まあ、それが特攻訓練だけど。
 それでも国を守ろうと思う自分の気持ちが、自分というものをなくしているわけです。 無私になっている。 自己否定が起きているわけです。
 こうして二ケ月位経った頃かな、弟が亡くなったという知らせが届いた、継母に生まれた義理の弟ですけど。 家の中が非常に不和で、父親も母親も、僕をしょっちゅう怒るような状態だった。 本来はやさしかった父親だったけれども、男と女の関係というのは、男の方が女の機嫌をとるような事もあるんですね。 それまで父親に足で蹴られたような事はなかったのに、坐っている後ろから、ボーンと背中を蹴られた事も一、二回あった。
 家の中のそういう不和な状態になんとも言えない気持ちでいた十五、六歳位の、特攻隊に入る三、四年前、継母に子供が出来た。 それで、父の郷里の方では、生まれた子の名前を付けるのに、家族の皆が、自分がその子に付けたいと思う名前をこよりに書いてまるめたものを一つ入れ物に集めて、家長である父親が、ちっちゃな竹の、竹箒に使う竹の先のようなもので突いて、それにひっかかったこよりに書いてある名前を付けるのです。 そのひっかかったのが僕のだった。 家の中がもう少し潤うといいと願って、「潤」という名前を書いてあったのが当たったのです。 その潤が僕によくなついてね、僕もとてもかわいがっていたけど、その子が特攻隊に行ってる間に亡くなったのです。
 亡くなった原因は、一つには、僕が耳の手術をして入院してる時に、母親が一度、潤を連れて見舞いに来てくれたが、古い病院で、階段が急で、潤が上から下まで転げ落ちたことがあった。 その時に頭をどこか打ったのかなあ。 とても利口でかわいい子供だったけれど、それが亡くなったとの知らせがあった。
 それでそのトンネルの中で、――トンネルの中では、水がポタポタ落ちるのですよ。 山を百メートルか二百メートル、人が頭をこごめて通れる位の高さで、幅は二メートル位掘っていくが、ポタポタ水が落ちるから、雨具を着てみんな寝てたの。 皆の眠っている間に当番の者はトンネル堀りをするわけで、いつも寝るのは十二時頃か、十二時を過ぎてた。そういう折に弟が死んだという知らせの手紙が届いたから、皆が寝たあとで、トンネルの中で、一生懸命に神様に、潤の魂が救われますように、神様のところへお導き戴けますように、一生懸命にお祈りしたのです。
その時に、子供の時からいろんな幽霊を見たり、霊に会ったり、いろんな現象には遇っていたけども、神様のお力が初めて、太平洋の水がいっぺんに自分の中に入り込んでくるようなすごい力で入って下さった。 意識は半分ないような、ボーッとなっていて、体中がすごいエネルギーですごく熱くなった、その時は。 で、初めてその時に神様にお会い出来たのです。 もう金色の光がまわりに満ち、まばゆいほどトンネルの中が光っていた。 自分ももの凄い力が体に湧いてくる、凄く体が熱くなる。 こうして、初めて神様にお会い出来たのです。 プルシャの次元かな。 それは満で言えば十九歳位だね。
どうしてそういうふうになったかという事だけれども、それは国のために命を捨てていた。 死ぬとか生きるとかいうことは考えなかった。 無私になっていた。 生きている自分を自分なりに否定が出来ていた。 無私で自己否定が起きていて、自分の命を全く超えたところで生きていたわけです。 そして最後に、潤が成仏出来るように神様に一生懸命にお祈りした。 潤に対する愛があり、神様を信じ、神様へ心がまっすぐ向いて、自分の心が愛に満たされていた。 その時に神様が入って下さったのです。
それまでは、神様は自分の外にいて、いろんな事を、いい事をして下さる、言って下さるような存在だった、子供の時からね。 例えば弘法の滝では苦しい滝の水を逸らして下さるようにね。 だけどその時は、神様と自分とはまだ別々のものだったのです。
 神様が実際に僕の中へ初めて、高い次元で入って下さったのは、その十九歳の時の、特攻隊のトンネルの中でだったのです。 無私で自己否定が起きてて、自分の命は全く捨ててかかっていた。 潤への愛が、神様にまっすぐ向いた自分の心に満ちていて、決して神様を疑わないで信じきっている。 その時に神様はすごい力で、自分の中に入ってきて下さった。
神様のお力を戴ける条件は、自分がない、自己否定が起きていて、命をもう捨てていて、自分というのにとらわれがないということですね。 みんなが行をする時にも、自分にとらわれがないという状態にならないと、本当の神様は、それから霊であっても、本当には下がらないのです。 下がるとしたらろくでもない霊ばっかりだ、人をやっつけるようなね。 自分の自我を人に押し付けるような、そういう霊しか下がらない。
 しかし霊が下がるときでも、本当に霊そのものが全体で下がると、下がられた人間は無意識になるはずなのです。 そうならないであれこれ言っても、それは妄想なのです、ただのね。 どうもみんなにはそういう人が多いみたいだな、気をつけないと。 そういう人は、いつまでも進歩しない。
 命も捨てる、無私になる、自己否定が起きる。 それで神様にひたすら向いて、そこで相手を助けるという愛が動かないと、神様は決してお下がりにならない。

以下略