大作曲家の創作の根底にある神秘体験
権宮司様
今日のお祭りには宮司様がお具合が悪くて、お出ましにならなかった。 それで、急遽僕がお話しさせていただくことになりました。 そして、そこから引用しながら話そうと思った資料を自分の部屋に取りに行ったら、本の山の中から本を探すのにひと苦労してしまいました。
僕はクラシック音楽が好きなのですが、一番聴くのはなんでしょうかね・・・。 やはりベートーヴェンですかね。 ベートーヴェンの交響曲全集というのがある。 それはベートーヴェンの交響曲の一番から九番まで全曲、一人の指揮者で録音しているものなのですが、それを二十種類ぐらい持っている。 二十種類持っていても、聴ききれないんですけどね。 カラヤンは生涯四回録音したけど、四つとも持っている。 それから、亡くなったけど、日本人の朝比奈隆という偉い指揮者がいて、その方もベートーヴェンの交響曲全集を四回か五回録音しています。 そのうちの二つを持っています。 もっとも、朝比奈さんが録音したのは日本のマイナーレーベルでだから、カラヤンが録音したドイツ・グラモフォンのような世界のビッグレーベルじゃないけどね。 そんな具合なので、作曲家とか演奏家のことは興味ありますね。
歴史上最も偉大な作曲家は誰かというと、誰だとは言えないけれども、ベートーヴェン、ブラームス、モーツァルト、バッハ、ストラヴィンスキーなんかは、やはり歴史上に燦然と輝く天才中の天才と言っていい。 その天才中の天才の一人であるブラームスが非常に長いインタビューを受けたことがありまして、それの記録がある。 それの翻訳が出ているので、ちょっとこれを読んでみましょう。 そのまま二頁近く読みます。 本は『我、汝に為すべきことを教えん。 ――作曲家が霊感を得るとき――』という本で、これはアーサー・M・アーベルというアメリカ人のジャーナリストが書いた本で、これを吉田という方が訳していて、出しているのは春秋社ですね。 では、選んだ場所をちょっと読んでみます。
「ブラームス先生」、私は口を開いた。 「あなたは全能の神とどう意思を通じ合うのでしょう? おおかたの者には、神はとても遠くに感じられるものですが」。 「よい質問だ」ブラームスは言葉を返した。 「意識する心を通して働く意志の力によるだけでは無理だ。 意識の心は物質界の進化の産物であり、肉体と共に滅びる。 これが成し遂げられるのは、ただ内なる魂の力――すなわち、肉体の死後も生き永らえる真の――による。 魂の力は、聖霊によって照らし出されなければ、意識の心からは静止しているように見える。 そこでイエスは、神は霊なりと我々に教え、またこうも語った。 『われと父とは一つなり』(ヨハネ一〇・三〇)。
ベートーヴェンがそうだったように、我々には創造主が共にいて下さると実感できるのは、驚きに満ちた、畏怖の念を起こさせる体験だ。 今までこのことを実感できたものはほとんどおらず、そのため、大作曲家はもちろん、人間が本気で取り組むどの分野でも、創造力あふれる天才というのはほんの一握りに過ぎない。 私は作曲に取りかかる前にいつも、こんなことを皆じっくり考える。 これが第一段階だ。 衝き動かされるものを感じると、私を造られた方を即座に求め始め、まず人生に関してこの世で最も大切なことを三つ質問する――我々はどこから来たのか、なぜ生きているのか、この後どこに行くのか(woher,warum,wohim)?
たちまち私は、自分の全存在を震撼させるような身震いを感じる」ブラームスは続けた。 「そこには、内なる魂の力を照らし出す霊(権宮司による註:ここでいう霊とは神の霊である聖霊のこと)が存在し、この高尚な気分の中で、いつもなら不明瞭なものがはっきりと見える。 次に私は、ベートーヴェンのように霊感を上から引き寄せられると感じる。 そんな瞬間、私はイエスの至高の啓示『我と父とは一つなり』が持つ途方もない意義を実感する。 この身震いは、私が求めるものについて望みと意志を明白に述べた後、幾つかのくっきりしたの形をとる。 私が求めるのは霊感に満たされることであり、それにより私は、人類を高め益するを作曲できる――永遠の価値を持つを。
その回答はただちに神から直接私に流れ込み、明確な主題が心の目で見えるのはもちろん、適切な形式の衣をまとっている――和声や管弦楽法という衣を。 仕上がった作品は一小節毎にそのな霊感に満ちた気分の中で、私の前に明らかにされる。 ちょうどタルティーニが、最高傑作のソナタ《悪魔のトリル》を作曲した時、明らかにされたように。 こうした結果を得るためには、になければならない。 意識が一時停止し、潜在意識に支配された状態だ。 というのは、全能者の一部である潜在意識の心を通して、霊感が湧いて来るからだ。 だがこの時、意識を失わないように気をつける必要がある。 さもないと着想が消え失せてしまうからだ」。(アーサー・M・アーベル著『我、汝に為すべきことを教えん』春秋社、二〇〇三、P八‐九)
ブラームスの作曲の根底にはこういう種類の神秘体験があるわけですね。 ブラームスはあくまで、「信仰」という文脈の中でこの神秘体験を語っているのですけれども、モーツァルトも非常に神秘的な体験のことを手紙の中で書いています。 ところが、それはだいぶブラームスやベートーヴェンとは違うような感じなんですね。 それを読んでみます。 これはモーツァルトが誰に書いた手紙だったかな? とにかく読んでみますと、
ぼくの魂に火がつき、邪魔されない限り、ぼくの主題は自分でだんだん大きくなり、方法化され、限定され、たとえ長いものだろうと、全体が、ほとんど完全に仕上がった形で心に浮かんでくるので、いってみれば一幅のきれいな絵とか美しい彫刻のように、一目で見渡せるようになります。 これは想像の中でだんだんきくのでなく、いわば何もかも、全部いっぺんにきいてしまうのです。 それがどんなに愉快か、とても口では言えません! こうした発明や仕上げは、楽しい生き生きとした夢の状態で起きるのです。 何が楽しいといっても、この全体をいちどにきけるということほど、いいものはありません。(前掲書P二三九)
これはモーツァルトが書いたもの。 音楽を皆さんが思い浮かべるとき、頭の中で音楽をどんなに速く高速回転させてもある一定の時間が必要ですね、メロディーが始まって終わるまで。 そのメロディーを一瞬にして、例えば交響曲なら交響曲、あるいはある楽章なら楽章十何分ぶん、その音楽の全てを一度に聴くということは、われわれの通常の意識ではとても考えられないことです。 けれどもモーツァルトにはそれができるという。 要するに時間というのと無関係なところで、あるいは時間というのを超えたところで一瞬に聴くのですから、これも神秘体験だと言っていいわけですね。
モーツァルトとかブラームスというのは生粋の変人でして、周りの人にとっては結構迷惑な人だったようです。 だから道徳的な人物かどうかはよくわからない。 ベートーヴェンは変人を通り越して、周りの人をずいぶん不幸にした、ある意味でひどい人だったようです。 ただ、彼の音楽は百年、二百年の間数え切れない人たちに多くの喜びをもたらしたのも確かですね。
そのような大きな喜びを多くの人に届けるものを創る、そういうクリエイティビティとか創造力というものの根底にはやはり神秘体験がある。 また、モーツァルトはこのような神秘体験を、他に譬えようがないほど楽しいものだと、非常にその神秘体験自体が素晴らしい、いいことだ、楽しいことだと言っているわけです。
われわれ凡夫が神秘体験という領域に踏み込むのはむずかしいことですけれども、神秘的な世界に入っていくということは、一方では多くの人に喜びを与える創造的なことであり、一方では自分自身も限りなく楽しいことである、というわけですね。
以下省略
