宮司様
今日はぼろプルシャの話をするよ。 ぼろ観音の話。 ちょっとだけ、五分ぐらいね。
権宮司様
お父さんの場合、五分が小一時間ぐらいになることも多いですけど(笑)、ま、大丈夫でしょうか?
宮司様
じゃ、十五分ぐらい。
権宮司様
分かりました。 宮司様はお話しされると全力でお話しされるので、かなり後でお疲れになるので、私もあまり宮司様にあれこれ申し上げない方ですが、今日はもしかして途中で私がストップかけるかもしれません。
宮司様
観音様というのは実在したか、・・・・・・しないですね。 でも、皆は浅草の観音様だの何だのといって拝むけど、観音様は観音様で、皆を救ってくれていると思うのです。 そういう観音様の菩薩という境位は、元々のサンスクリットとかヨーガではプルシャというのです。 プルシャというのは、個人の魂の次元を超えて、ひとつの神様になっているようなものですね。 で、行をしたお蔭でそこにまで行ったのだけれども、プルシャの一つの性格は、「光の便り」に権宮司が書いていたように、二重性というか、――二重性ではなくて多重性なんだけどね、要するに一つは、プルシャの次元で一切の、魂だのこの世だのというものを超えたところ、滅びないところで居て、そして皆のところに下がってくるというか、自己否定をして、人間のところ、霊の世界、あるいは霊の世界のカラーナの世界とかそういうところへ降りてきて皆を助けるわけですね。 ここで言えば、亡くなった信者さんとか、それから皆を助けるわけです、皆の身体のことも、心のことも、仕事もことも。 そうしながらいつでも、観音様は衆生を救って皆を成就さすまでは菩薩の位に留まって、仏にはならない。
菩薩というかプルシャというのはそういうものだけれど。 ただ、自分はぼろプルシャというのになり過ぎたなと、自分でこの頃思うのはね、皆を助ける、あるいは日本の国、頭がいいのか悪いのか、軽率なのか知らんが、いろんな首相が出ていろんなこと言って、うまいこといかないですね。 世界中も経済的に資本主義が壊れてしまった。 中国は中国で、資本主義になったようなならないような変な具合で、要するに落ち着かない時代ですよね、二十一世紀というのは。 そういうのを助ける、あるいは地球を助ける、人類を助ける、自然を助ける、というのが僕の役目なんだと思うのですが、「いついつ頃にはこんなことが起きる」とわかると、それがうまくいくように、皆が助かるように、世界がそれぞれ仲よくやっていけるように、信者一人ひとりの場合には、癌なら癌の人が治るように、あるいはまた、今苦しんでいる人がいたら苦しんでいるのが治るように、死んだ人だったら、自分が死んだことも分からないような状態から悟った状態、死んだことが分かった状態に移れるように、よくお祈りするわけですね。 で、癌でも、力を送ったら、十人のうち五人ぐらいは治った人もいる。
それで、いつも思うのですが、「ぼろプルシャ」の意味は、お祈りしたり、力を送ったりしたあとでも、その後どうなったかなと、気になるのです。 日本の国がどうなったかな、アメリカはどうなるかなと気になるから、毎日お祈りしながら、やはりそれが気になるのですね。 本当のプルシャというのは、そういうものを助けるのだけれども、助けた後は、全くそんなところを越えたところでいてもそれで十分に助けられるのだけれども、つい気になって、ああ、あれは死んでからちゃんとなってるかなと思ってお祈りをする。 いろいろな事態が出てくると、ちゃんとまた助かるようにいろいろお祈りする。 それがぼろプルシャの意味なのです。
まり、ある意味、皆の中に落ちているのです。 全く越えたところでいるのだから、いっぺん力を送ったら、どんな場合でもだんだん良くなるのです。 国と国との交渉のことでも、「こういうふうにやればいい」「こうなる」と言えば、そんなふうになるのだから、一々それを気にしながら何度も力を送る必要はないのです。 分かるでしょ? それを、いつまででも気になるのをぼろプルシャという。 だから、今度からはもう気にしないで、いっぺん力を送ったり助けたら、もう上の方に上がって、「あと勝手にやれ」というわけではなく、ちゃんと見てはいるけど、でも、その中に落ち込まないようにしないと、ぼろプルシャになってしまう。 そうすると、世界中の情勢が悪くなったら、自分の身体に変化が起きる。
以下省略
