宮司様
清光先生はご生前は、非常に厳格でね、ご飯食べるのでも、皿に手をつけたらそれをみんな食べてから次のに移るようにいつも言われていた。 要するに怖い母親。 いとこの(濱野)和子も、清光先生っていうと、怖いっていう気持ちが強かったかと思うんだけど(笑)。でもね、お代様も時々「こんなに苦しいお勤め、信者さん達のためのお祈りは、神様にはもったいないけど、もうやめたい」と、二回位、東京へ出られてからおっしゃったらしい。 けれどもその度に、清光先生が、「大神様は日本が安定し栄えるように、世界の人達が仲良くできるようにという御神言で御降臨くださったのだから、そんなに弱い心ではだめですよ」と励まされたのだそうです。 それでね、お代様もそうだったと思い直されたそうです。 それで今日の玉光神社が出来たわけですね。 やっぱり信念の人だったね。 でも僕は子供の時にはしょっちゅう叱られていたから、家の中ではかしこまっていたけれど、外へ出ると暴れまわっていた(笑)。
それで最近は、――ここ一、二ヵ月かなあ、朝お行したり、ご挨拶のお参りをしたりするときに、以前のように、すっと顕れてみえないから、どうしてかなあと思っていた。 今日は、はっきりお二人ともみえて、今世界中、それから日本も、政治や経済が非常に不安定だし、職のない人がアメリカでも日本でも増えて困ってきているから、みんなが困らないように、政治や経済が安定をして、日本が栄えていくようにと、それで一生懸命にお二人とも働いていられるようでした。
また、それだけではなくて、今生きてる信者の皆さん、信者じゃなくても縁のある人、それから死んだ信者の人達、そういう人達を救って、亡くなられた人達は霊界で霊的に成長が出来て、子孫や、或いは日本の国を守る霊になられるように働かれているようだね、有難いと思います。 それで霊の世界でもお忙しかったのか、このところ出てこられなかった。 まあしょうがないですね。 宇宙を創られた神様ならどこにでもいらっしゃるけど、神々の座には、お働きの中に、ある枠があるんですね。 でも顕界、霊界のみんなのために一生懸命に働いていらっしゃるようだから、有難いですね。
さっき話したように、清光先生は、神様への厚い信仰と強い信念を持っていられた。 そしてものを非常に正しくね、きちんきちんとされてたように思いますね。 僕は自分で思うのだけど、こんなにきちんきちんとする母親から生まれたのに、自分はずぼらだなあと思うのだけど、時々(笑)。 お代様がね、「お前はほんとにずぼらな神主だなあ」と時々言っていられたけど、まあ、しょうがないですね。 袴にしてもね、きっちり紐を結ぶとお腹がしまって苦しいから、ゆるくしていると、大前に坐ってお祈りして、次に妙光之神様の方へ行くときには、袴がだいぶ下の方まで落ちて来る(笑)。 みんなから見えないようにそっと上げるんですけどね。 親があんなにきちんとした人だったのに、なんでこんなずぼらなのかなあ(笑)。
はい、ではまず浅田さんから、清光先生の思い出を話してください。
浅田先生
私が世話人のお役を拝任したのがもう二十七年位前になります。 初めは何もわからなくて、一信徒として清光先生を拝見させていただくときは、御神前では畏れみ、かしこんでお仕えされているというのがまず第一印象でした。 そしてそのご様子がいつでもお変わりにならないのです。 どんな場合でもそのようにお仕えされているお姿をまず私は一信徒として拝見させていただいておりました。
以下省略
