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「本山博著作集」第一巻の読みどころ  宮司 本山一博

信徒の皆様から宮司(現名誉宮司)の著作集を多数申し込んでいただいております。
「本山博著作集」にご理解を示していただき、企画責として深く感謝しております。今月より「光の便り」に各巻の読みどころを同封して信徒の皆様にお送りいたします。

 超感覚的なものとその世界  〜宮司様の「夢の設計図」

これは宮司(現名誉宮司)の初めての著作です。20歳代から30歳代前半にかけて書かれた論文をまとめた学位論文であり、ユネスコの優良図書に選ばれました。この論文には宗教的世界観、修道論、科学的研究など、宮司(現名誉宮司)のその後の探求の歩みの方向性がすでに示されており、若き宗教家、研究であった宮司様の「夢の設計図」と言える内容になっています。学位論文でありますので、その語り口は難解でありますが、論旨の展開がそれだけ整っていて、その意味では読みやすいと言えます。
宗教の世界、霊的な世界という日常や科学を超えた世界をどのようにして科学的に探求していくのか、その発想の原点が示されています。それは霊的な知識と実験において得られるデータを「重ね合わせて」見ることです。そして重ね合わせるためには霊の世界と物理的な世界の両方にまたがった存在である人間を、特に超常現象という文脈の中で電気生理学的に測定するのです。そして霊的な世界の知識で最も重視されるのがチャクラについての知識なのです。
修道論つまり修行の論理では意識化ということが問題になります。通常の人間にとっては意識できない無意識や霊的な意識が意識化され自覚される道筋として修行の階梯が語られていきます。さらに催眠現象との関連で、宗教的行における精神の進展は生理学的な現象と切り離せないということが指摘され、後の宮司(現名誉宮司)独特の修道論に発展します。
さらに修道論の更なる深まりとともに宗教的世界観が構築されていくのが最後の章です。しかもこの章が最も古い論文で、20歳代半ばのころに書かれたものだということは驚嘆すべきことです。ここでは宗教体験は、神々つまりプルシャとの一致、創造神との一致、それらを越えた究極の体験と階梯を追って語られていきます。この神々や創造神との一致をなした人間は「場所的個」となることがこの最初期の論文ですでに述べられるのです。そして、それらの宗教体験はその体験の次元の高低に関わらず共通した構造を持つと主張されます。それは人間を超えた神々や創造神の意識つまり超意識を持つためには、人間は自らの努力による自己否定の極で、さらに神によって完全に否定され、ある意味で一度死ななければならないということです。自力と他力という問題にすでに答えが出されていたのでした。そしてその修道論の展開とともに、絶対者が自己否定をして宇宙を創造するという壮大な世界観が語られます。

 存在のより高い次元  〜個人性-社会性、そして超作〜

この短い論考では人間の個人性と社会性が語られます。人間にこの両方があるというのは当たり前のことです。しかし宮司様はこの当たり前のことを個と場所という概念を背景に語ります。つまり社会を単なる個人の集合とは捉えずに、その背後の場所的存在つまりプルシャがあると論じます。そして場所つまりプルシャを背景とした、人間の自己否定をともなう日常的な行為を超作と捉えます。

 宗教と超心理 〜科学的な実験がより進歩し、それにより唯物論を否定する

電気生理学的な研究方法はさらに進化します。科学的な実験が進むにつれ、霊的進化をした人間においては精神と身体との相関がますます密接になることが分かってきます。しかも単に密接であるというだけではなく、それらの実験結果を通じて、人間の精神が決して脳や身体だけに還元して捉えられるものではないことを示します。

 心の確立と霊性の開発  〜空の思想の深まりと宮司(現名誉宮司)の修道論の方向性〜

この著作では有名な座禅の古典的テキスト「天台小止観」を宮司(現名誉宮司)が自らの体験に基づいて解説します。この古典的名著に触れてか、宮司(現名誉宮司)の空に対する理解はそれまでの密教的な理解に竜樹菩薩的な縁起的な空の理解が加わり、それを自らの体験に結び付けて考察することにより深まっていきます。
また本来チャクラという文脈にはない「天台小止観」の行法をチャクラに関連付け、チャクラシステムによって宗教的行を統一的に見ていこうという姿勢の萌芽が見えます。
それは精神的修道のみならず、身体的な修道を重視していくという宮司(現名誉宮司)のその後の修道論の展開を先取りしています。

 天台小止観・覚知魔事について 〜唯心的な仏教理解ではなく・神様も悪魔も実際にいる

天台小止観に限らず、(大乗)仏教ではすべてのものは心の現れであると説く傾向がありますが、宮司(現名誉宮司)は神様の実在、悪魔の実在を自らの体験に基づいて説きます。これは天台小止観との決定的な違いなのですが、一方では宮司(現名誉宮司)は空の思想も説くのです。