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「本山博著作集」第四巻の読みどころ   宮司 本山一博

今月は第四巻の読みどころをお送りします。 この巻に収録されている著作に共通することは、宗教的行が古典ヨーガの綜制(精神集中、瞑想、三昧の三段階)と博士論文の宮司(現名誉宮司)が独自に示された宗教的行の三段階(単純な一致、エクスタシー、完全な一致)をほぼ同一視したプロセスで説明されていることです。そして、『密教ヨーガ』で示された身体的な行法は大きく後退しています。また、霊的進化により心が変容したとき、もとの心がなくなるのではなく、もとの心とそれと対立していた対象の両方が、霊的進化により新たに生じた(あるいは顕になった)心の中で支えられ生かされるということが一貫して述べられます。主客合一はそのようなことの一面として述べられているようです。また、進化とは場所になることだということもその文脈の中で語られます。また、そのような進化した心はもとの心と対象であるモノとを統合したところにあるとして、心とモノの関係が述べられることになります。

 超意識への飛躍

ここでは宗教的行としてのヨーガが解説されていますが、上述のような綜制的なモデルで説明され、第三巻に見られたハタヨーガ的視点は大きく後退します。とくに第一章は1977年の講演録であり『密教ヨーガ』が1978年であることを考えると不思議なほどです。私の知る限り宮司(現名誉宮司)は宗教的行を三つのモデルで説明しますが、一つが綜制であり、二つ目は独自の三段階であり、三つ目はハタヨーガモデルです。一つ目と二つ目は博士論文では別物として述べられているものの第四巻に収録された著書を書かれたこの頃にはほぼ同一視されています。ハタヨーガモデルは他の二つとはなかなか整合性が取れないようです。言葉では言い表しがたい宗教的行の実際をモデル化することは本質的に困難なことであると思われます。しかし宮司(現名誉宮司)は多角的にあらゆる方向から考察して宗教的行のモデルを作ろうとされます。本書はそのような努力の大きな成果の一つです。実際に宗教的行をしようという者には必読の書と言っていいでしょう。

 宗教の進化と科学

一見総花的で統一を欠いた書物に見えますが、宗教的な階梯をあがることが低い次元の心とモノを統合するようなところに行くことであるという文脈で宗教体験や科学、宗教のあり方を統一的に読み解こうとしています。場所と言う概念もそのような文脈の中で語られます。また、妙光之神様が亡くなられ教団を継がれたからでしょう、それまでは個人が如何に霊的進化をするかということが主要なテーマでしたが、宗教の進化、教団のあり方というテーマが浮上してきます。また、統一的なものの見方、全体を統合する原理を求めるという宮司(現名誉宮司)の志向のひつとの形として、人間を心身霊の全体として把握するときの原理は経絡を流れる気であるということを論じます。その中でAMIの説明が記されています。本書には立教50年の記念講演が収録されていますが、妙光之神様の霊的進化の物語が実は本書に低通するテーマの基になっています。それは実際に霊や神霊と出会うことを通して真の宗教に至るということです。それが机上の宗教との違いでもあります。そして、宗教の進化がカルマ理解の進化でもあることが述べられます。このこともまた上述の場所概念と関わります。

 祈りと救い

本著作集に収められる著作の中では実は初めて祈りという普通の宗教実践に焦点が当てられたものであり、その意味では宗教書らしい宗教書であると言えるでしょう。オリジナルの著者近影もいつものスーツ姿ではなく白衣を召されたお姿です。しかしその内容は宗教書のイメージにあるようないわゆる「いい話し」ではなく、神様に願いをかなえていただくお祈りも霊的進化のための行であることが論じられています。そしてお祈りの深まりの過程がやはり綜制的モデルで語られます。本書では重要な二つのことが述べられます。まず、前書で問題にされた心とモノの統合の考えがさらに深まり、絶対者からモノの世界と精神の世界が生じ、この二つの原理の相互作用により宇宙が創造されるという宮司(現名誉宮司)の世界観が始めて明確に語られます。もうひとつは縁起=無自性=空という龍樹的空観です。その空観がかの世界観に組み入れられていきます。