宮司挨拶

玉光神社と私の紹介

私は玉光神社(たまみつじんじゃ)の二代目の宮司です。

玉光神社は1932年に、私の祖母である教祖本山キヌエが玉光大神と出会ったことにより始まりました。
大神は『5年後に天地が逆さまになる戦が起こるので、それを救うために降臨した』と教祖に伝えました。

5年後の1937年にシナ事変が起こり、日本は大戦へと突入していきました。
教祖は大神の命じるままに修行をし、世界平和を祈りました。
また「あの世とこの世を行き来する私たちの魂が互いに和解し、成長するように」と大神に祈りました。

私の父である初代宮司本山博は教祖の養子となり、この神社を後継しました。
初代宮司は霊的な身体の存在を科学的な方法で証明しようとし、世界的な評価を得ました。
また、日本で初めて本格的なインドのクンダリニー・ヨーガを指導し、その成就者として精神世界の巨人と見なされました。

1988年に初代宮司は、「玉光大神は宇宙創造の神である」と宣言します。
しかし、「玉光大神の本地は宇宙創造の神である」という表現もしました。
そして、1995年に玉光大神から『十五条の御神訓』を授かります。その内容は<宇宙創造の神=創造主>への信仰を説いたものです。

私は大学で物理と数理科学を学びましたが、30歳のときに後継者に指名され、52歳で二代目宮司となりました。
30代のときから宗教間対話に関わり、その経験から自分の宗教を絶対視せず、相対化することが必要だと思うようになりました。
そうしてこそ、神に至る道を、宗教団体のエゴや都合に惑わされることなく探究でき、宗教間の争いをなくすことができると思ったのです。

私には創造主と玉光大神の関係は分かりません。
同じなのか、そうではないが特別な関係なのか、私の経験と知性ではとらえられるようなものではありません。
しかし、当社の根本教典である『十五条の御神訓』は「玉光大神が説いた、創造主への信仰についての教え」であることは確信しています。

もちろん、文字になったもの、つまり、形あるものに絶対のものはありません。
この教えもその意味では相対的なものなのでしょう。
それでも、私はこの教えに基づき、神と出会い、神を現すための祈りと瞑想はどのようなものであるのかを自分なりに探究してきました。
そして「私なりに理解したものを多くの人にお伝えしたい」と思うようになりました。